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日本発祥の発酵食品納豆の歴史、起源

納豆は日本で誕生した発酵食品です。その歴史はとても古く、昔から日本人の食生活には欠かせないものでした。
しかし、発祥時期や発祥地については様々な説があります。詳しい文献が残っていないため、どの説が正しいのか今となっては分かりませんが、納豆の歴史を知ると昔の人々の暮らしも見えてきます。

目次

納豆の起源

納豆の起源は解明されておらず、いくつかの説が存在します。
納豆が確認できる最古の文献は11世紀頃の書物であることから平安時代にはすでに納豆が存在していたとされています。発祥時期は定かではありませんが、いくつかの有力な説があります。

1.弥生時代説
最も古い発祥時期として考えられているのが「納豆は弥生時代に誕生した説」です。
弥生時代、中国から伝わった豆類の栽培が始まりました。
弥生時代の人々は煮た豆を藁に包んで保存していました。藁の中に自然発生したバクテリアや納豆菌により発酵して納豆が誕生したのではないかと考えられています。

2.飛鳥時代説
聖徳太子は愛馬に餌として煮豆を与えていました。余った豆を藁に包んで保存していた所、豆が自然発酵し納豆が誕生したのではないかと考えられています。
位の高かった聖徳太子が勧める食べ物であることから、人々はそれを有難い食べ物とし、広まっていったのではないかという説もあります。

3.戦時中説
戦争で海外への遠征が必要になった際、当初の予定より長期戦になったために兵士の食料が不足しました。
兵士の食料調達を命じられた農民たちは、大量にあった煮豆を藁に包んで献上します。それが自然発酵し納豆になったのではないかという説もあります。
戦時中に納豆が誕生したという説が正しいのであれば、11世紀の書物に記載されている「納豆」は中国から伝わった麹菌を使った糸を引かない納豆「鼓」ではないかとされています。

納豆発祥の地とは

納豆発祥の地も諸説あり、正確な発祥地は解明されていません。

1.秋田県説
平安時代後期、秋田県では源義家と清原家衡の戦いである後三年の合戦が起こりました。
その戦いの際、現在の横手市付近で大雪に見舞われた義家一行は足止めをくらい食糧不足に陥ります。困った義家は付近の農民に煮豆を藁に包んで提供をさせます。
それが自然発酵し納豆になったという説があります。
この記録は秋田県横手市にある石碑で確認できます。

2.茨城県説
源義家が奥州平定に向かう際、義家の家来は馬の餌として煮豆を藁に包んで運んでいました。その豆が自然発酵して納豆になったという説もあります。
家来が納豆を食べてみると、とても美味しかったので義家にも献上されます。義家は納豆をたいそう気に入り、「将軍に納めた豆」という意味で「納豆」という言葉が誕生したのではないかとも言われています。

3.熊本県説
加藤清正軍は豊臣秀吉の命令を受け、満州へと行きます。その任務は当初の予定より長期化し、清正一行は食糧不足に陥ります。仕方なく馬の餌であった煮豆を食べ飢えをしのぎ始めます。
残った煮豆を俵に入れていた所、豆は自然発酵して納豆ができていたという説もあります。

中国から伝わった納豆も存在する

納豆には一般的な糸引き納豆と、麹菌を使って大豆を発酵させた麹納豆というものがあります。糸引き納豆と麹納豆の一番の違いは糸を引くか引かないかという所です。
糸を引かない麹納豆は中国から伝わってきたとされています。麹納豆は当時「鼓(し)」と呼ばれていました。
鼓は日本でも食べられていたと考えられ、平城京から出土した木簡には「鼓」の文字が書かれているものもあります。

納豆を食べる文化が根付いたのは江戸時代

庶民の間で納豆が食べられるようになり、日本の食文化に根付き始めたのは江戸時代だとされています。江戸時代、納豆の商品化が始まったためです。納豆を売り歩く商人も誕生し、ご飯に納豆、漬け物、味噌汁といった朝食が定番化したのもこの時期だとされています。
また、江戸時代は醤油の製造が始まった時期でもあります。納豆をより美味しく食べるための醤油が流通し始めたことにより、ご飯との相性も格段に上がったため広まっていきました。

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