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日本発祥の発酵食品ぬか漬けの歴史、起源

ぬか漬けは日本で誕生した発酵食品です。その歴史はとても古く、日本人に馴染み深いものです。
そんなぬか漬けの歴史を紐解いていけば、ぬか漬けの歴史だけでなく当時の人々の暮らしや文化にも触れることができます。

目次

ぬか漬けの発祥時期

ぬか漬けの発祥時期については文献が残っていないため、詳しい発祥時期については解明されていません。そのため、ぬか漬けの発祥時期についていくつかの説が存在します。

1.大和朝廷時代説
記録によれば、大和朝廷時代にはすでにぬか漬けがあったのではないかと考えられる文献が残っています。
しかし、この時代は野菜や肉を塩漬けにするのみでまだぬか漬けを作る技術がなかったのではないかと考える学者も多いようで、大和朝廷時代にはまだぬか漬けがなかった可能性もあります。

2.奈良時代説
ぬか漬けは奈良時代に誕生したという説が最も有力とされています。
奈良時代の文献である延喜式に須須保利(すずほり)という漬け物が登場するのですが、これが最古のぬか漬けの記録ではないかと考えられています。
記録によれば、大豆や粟を臼で挽いたものに塩を加えて漬け床を作り、そこに野菜を漬けて須須保利を作るとあります。現代のぬか漬けとは漬け床の材料が違いますが、作り方はぬか漬けと似ています。
この須須保利の作り方が変化して現代のぬか漬けになったのではないかと言われています。

ぬか漬け発祥の地

現代のような、ぬか床に米ぬかを使ったぬか漬けが誕生した地域は北九州だとされています。
北九州小倉城藩主である細川忠興がぬか漬けを食べ、それを城下の庶民にも伝えたため広まっていきました。
福岡県北九州市の小倉城近くにある八坂神社では、日本で最も古いとされるぬか床が保存されています。その歴史は約400年とも言われており、現在もなお毎日きちんと手入れをされています。

現代のぬか漬けが誕生したのは江戸時代

現代のこめ米ぬかを使用したぬか床から作るぬか漬けは江戸時代の初期頃に誕生しました。
それまでは庶民の主食といえば玄米や五分つき米が主流でした。しかし、新田開発などにより米の収穫量や市場に出回る量が増えたため、江戸時代初期から一般庶民も白米を食べるようになります。
精米するときに出る米ぬかを再利用して漬け物を作ったところ、それがとても美味しかったため米ぬかのぬか漬けが定着しました。

ぬか漬けが定着したのは脚気が流行ったから

江戸時代、脚気という病気が流行しました。脚気とはビタミンB1が不足することにより、心不全や末梢神経障害の症状が出る病気のことです。
江戸時代より前は玄米や五分つき米を食べていたため米ぬかに含まれるビタミンB1を摂取できていましたが、白米が主流になったことにより主食からビタミンB1が摂取できなくなりました。
また、江戸時代の食事は白米、みそ汁、鰯1匹という一汁一菜が主な食事内容でした。野菜等のおかずを豊富に摂ることができなかったため、おかずからも十分なビタミンB1を摂取できず脚気が流行しました。
そんな状況の中で注目された食品がビタミンB1を多く含むぬか漬けでした。ぬか漬けは脚気の予防薬、治療薬として庶民の間で一気に広まり、定着していきました。

昔のぬか漬けと現代のぬか漬けの違い

現代のぬか漬けと昔のぬか漬けの一番の違いはぬか床の塩分濃度です。
現代のぬか床の塩分濃度は13~15%が一般的ですが、江戸時代のぬか床の塩分濃度は最も濃いもので30%と記載されている文献もあります。
このような違いが出る理由は、昔は冷蔵や冷凍などの保存技術が発達していなかったためと考えられます。また、昔は衛生管理も整っていなかったため、腐敗菌を殺菌するために塩分濃度を濃くしていました。
塩分濃度の濃いぬか漬けは少量で米をたくさん食べることにも適しており、食料がまだ豊富でなかった江戸時代の人々にとっては大切なおかずだったとされています。

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